畏敬という言葉をご存知でしょうか?
畏敬とは何か自分の理解を超えるような対象に触れた際にわきあがる、鳥肌が立つような感情を指します。
極地で壮大なオーロラを目の当たりにしたとき、人が作ったとは思えないものを見たとき、オリンピックで世界新記録を出す瞬間を見たときなど、心の底からすごいと感嘆できれば、それは「畏敬」になります。
この畏敬の念が体の炎症を抑え、ポジティブな感情を引き起こしたり、健康や長寿に大きな影響をもつと明らかにされています。
今回は畏敬を感じられる自然、アート、カリスマについて紹介したいとおもいます。
それでは見ていきましょう。
目次
畏敬を感じる自然
まずは一番取り入れやすい自然です。
前回の記事でも紹介したように自然は人類にとって最強の炎症対策であると同時に私たちを壮大な生命システムの一番だと再認識させる働きを待ちます。
ここでいう自然は山川草木を意味しません。
相対性理論、量子論、進化論など、世の中の様々な仕組みに適応できるようなグランドセオリーも自然の一部です。
宇宙や人間の謎を解き明かすようなフレームワークを知るだけでも私たちのなかには畏敬の種がうえつけられていきます。
森林や大海などの動画を定期的に見るだけでも構いません。
前回の環境の記事の自然の取り入れ方を活かしつつ、手軽に畏敬を取り入れる事ができる自然のに触れていきましょう。
畏敬を感じるアート
次にアートが畏敬を感じされてくれます。
音楽、映画、絵画、演劇など、高度な創作性をもつものは、すべて私たちににんげんを超えたかのような感覚をあたえ、時間を超越したかのような意識をもたらします。
アートがもたらす「大きさ」と「新奇さ」の二つの要素が畏敬の念をあたえてくれます。
ロン・ミュエックの巨大なリアリズム彫刻や、全長97メートルにもおよぶナスカの地上絵など、大きな人工物はそれだけで私たちのなかに畏敬の念を生みます。
ギリシャ神話のような、壮大な世界観を描いた物語でも構いません。
人類の偉業を示すものであれば、なんでも畏敬をもたらす触媒になります。
もうひとつの「新奇さ」は、どれだけ私たちに新鮮な感動をもたらし、こちらの世界観が揺さぶられるかどうかを意味します。
たとえばモネの睡蓮は、あえて混色を避けて色彩を分割することで光の表現を変え、私たちの自然の見方を大きく更新しました。
南米の作家ガルシア=マルケスは、日常的なシーンに幻想的な描写を溶け込ませる手法を使い、まるで読み手の現実感が崩れるかのような印象を与えてきます。
いっぽうで、なじみ深くて理解がしやすいような表現は、楽しさの感覚は与えてはくれますが畏敬を起こすパワーまでは持ちません。
「理由はわからないがなぜか惹かれるもの」を基準に、どのアートに接するかを選んでください。
畏敬を感じるカリスマ
次はカリスマ性をもった人です。
ブッタ、キリスト、ガンジー、アインシュタインといった歴史上の偉人は当然のこと、現役のスポーツ選手、タレント、政治家など、カリスマ性を備えた人物は、いずれも畏敬の念を生みます。
自分が思わず感嘆や感動を覚えてしまうような人物であれば、誰を選んでも構いません。
伝記を読むのもよし、インタビューを漁ってみるもよし、あなたにとってのカリスマを掘り下げてみてください。
畏敬を取り入れて健康を手に入れよう
今回は畏敬が不安を減らし、炎症をなくすを紹介しました。
最後にまとめます。
- 一番手軽に畏敬を感じれるのが自然。感嘆を抱く写真や動画でも効果がある。
- アートの大きさや新奇さが畏敬を生む。理由はわからないけど惹かれるというものを見つけよう。
- カリスマが畏敬の念を生む。偉人や感嘆を抱いた人物を掘り下げてみよう。
です。
畏敬の対象は個人の感性で大きく変わります。
普通にある街中や家の中にも畏敬を感じる事があるかもしれません。
畏敬の種はそこらじゅうに転がっているので探してみてください。
次回は不安をなくせるマインドフルネスについて紹介します。次回もお楽しみに!